ハードクレームには、感謝の言葉を…

 心を柔らかくしてくれる言葉、「ありがとうございます」

お客様に開設しているコールセンターのほとんどは、提供しているサービスが上手く受けられないためにかかってくる。

なので、かかってくる電話には、お詫び、謝罪の言葉が多い。

極まれにお褒めの言葉を言うために電話をしてくる稀少な方もいらっしゃるが、そういう電話は滅多にない。

つまり、コールセンターで「ありがとうございます」という言葉を使うタイミングというのは、「お電話ありがとうございます」「ご連絡ありがとうございます」「ご意見ありがとうございました」など、電話に出たときか、電話を切る直前に言う定型ワードなっている。

そんな「ありがとうございます」でも、使い方によっては魔法の言葉になるというのを思い出したので書いておきたいと思う。

魔法の言葉

コールセンターの仕事を長年やっていたのだけれど、理不尽なクレームを言ってくるお客様に対しての魔法の言葉がある。

「ありがとうございます」

という言葉だ。

コールセンターで仕事をしていて、ハードクレームに遭遇することは、度々ある。

ハードクレームを言ってくる人はいろいろなタイプがいるのだけれど、中でも怒鳴り散らすという人もいるのだ。
瞬間湯沸かし器である。
ちょっとでも気に障る言葉…至って普通に話をしていてさえ、絡んでくる。
絡むだけなら良いのだけど、怒鳴りまくる。

そんな人にこそ有効な言葉が、魔法の言葉「ありがとうございます」なのだ。

謝罪は火に油

そもそも理不尽なクレームである場合、謝罪はそのクレームに対して、肯定と受け取られる可能性がある。
謝罪をすると、怒鳴りまくっている人の心の火に油を注ぐ形になるから要注意だ。

そこで、どう対応するかというと、ご意見を頂戴できたことに対して、「ありがとうございます」と言うのだ。

怒鳴っている人に「ありがとうございます」という。
なんともおかしな話なのだが、これが効果てきめんなのである。

怒鳴っている人にこの言葉を使って「何がありがとうございます、だ!」というこれも怒鳴りながらの返事をもらうのだけれど、それが何か笑みがあるような声色で返ってきたことを何度も経験している。

魔法は使うタイミングで効果が違う

 だいたい、怒鳴っている人の話を聞いて、その話をただ聞いていると、精神的な苦痛を伴うから、怒鳴っている人の話はまともに聞いてはいけないのだ。

しかし、聞いていないと「聞いているのか?」と怒鳴る要素を与えてしまう。

ではどうやって、怒鳴る言葉を受け取らずに聞くのか。

人間の脳みそは、パラレルで動くことができないので、怒鳴られながら別のことを考えているだけで、苦痛は和らぎ、冷静になれて、良いことづくめなのだ。

別のことを考える。

とは、言うけれど、何を考えればいいのか。

全く別のことを考えていて、反応が遅れると、「聞いているのか?」と、これまた怒鳴られてしまう。

そこで、怒鳴りまくる人の話を聞きながら、どこに「ありがとうございます」という要素があるかを探しながら聞くのだ。

怒鳴られながらも、「ありがとうございます」というタイミングを考える。

そうすると、怒鳴っている人の話を聞きながらも、内容は把握できるし、ただ聞いているのではなくて、脳みそは言われていることと別のことを考えているので、かなり精神的に楽になるのでお勧めだ。

まとめ

「ありがとうございます」は最強の魔法の言葉。
対人関係でも、ありがとうございますと言える要素がないかを考えることは、自分を冷静にしてくれる効果もあるし、言われた側も心が柔らかくなるので、お勧めだ。

穏やかな気持ちになりたいとき・・・

私は、仕事のお昼の休憩中に、よく空を見る
空を見ていると、気持ちが穏やかになる
今日も穏やかで平和だなと思う

雲の動きが速いなあ、嵐が来るのかな?
今日は、太陽が厚い雲に覆われていてなんだか寒いなぁ

今日の雲の形は鰯雲
2~3日後に天気が崩れるのだろうか?

もくもく入道雲をみると、子供の頃の夏を思い出す
雲はどこにでも連れて行ってくれる
雲が流れる先にある海外へも
遠い過去にも連れて行ってくれる

仕事で嫌なことがあると、休憩時間に空をみる
どんより曇り空でも雨の日でも空を見る

空はいろいろなことを教えてくれる
止まない雨はないという
雨が降ってもいずれは止む
きっと雲ひとつない、すがすがしい晴れ間もいずれくる
どんな時でも空は同じ
空を見ていると平和を感じる

今日もいつものように空を見る

疎外感を感じたら考えたいこと

 

 人間は社会性動物と言われています。生活していく上では人との関わりが必要不可欠です。無人島で一人だけで生活しているわけではないわけですから、衣食住、すべてにおいて誰かしらと関わりをもって生きています。

人は、誰かしらと関わりを持ちながら生きていく必要あるわけです。ですので、そのことに関わることが必要と感じているのに他者の行為により関わらせてもらえない時に、疎外感を感じるのだと私は思います。

 疎外感との私の付き合い方をご紹介しようと思います。

疎外感について

 学校でも職場でも、年齢や所属に関係なく、疎外感を感じて悩んでいる人はいると思います。そういう私自身も、よく疎外感を感じることがあります。

疎外とは、「嫌って除け者にすること」だそうです。(Goo辞書)

つまり、疎外感とは、なんだか除け者扱いされいるような感じがして寂しいなぁという感情でしょうか。

 疎外感を感じると、大勢の中にいても孤独を感じている状態です。その状態が続くと「自分は役に立っていない、必要とされていないんだ」と、どんどん思考がネガティブの方向に傾いていきます。そして、疎外感から悩み事へ発展し、場合によっては身体症状も出てきて、精神的な疾患となることもあるので、気をつけたい感情です。

疎外感を感じたとき私がしていること

 私が疎外感を感じる時ですけれど、職場で担当している仕事であるにも関わらず会議に招集されなかったりすると、疎外感を感じることが多いです。私が今の職場で、初めて疎外感を感じたのは、まさに担当業務の会議に招集されなかったが起きたときでした。

 しばらく、そのようなことが続き、かなり落ち込んだ期間がありました。しかし、原因がわかってみると杞憂には及びませんでした。私の職場の場合、会議招集は招待メールにより招集されるのですが、職場内に同じ苗字の人が何人かいて、間違って他の人が招集されている場合があることがわかったのでした。

 また、あるプロジェクトが立ち上がったときに、メンバーとして自分が選出されなかったり、職場の仲間での飲み会に誘われなかったり、疎外感を感じる場面の例を挙げると枚挙に暇がないほどです。

 今では、もう慣れましたが、最初はかなり落ち込みました。転職も考えたことも何度もあります。しかし、今では、転職せずにいて良かったと思うことも多いです。

疎外感を感じたときは、もしかしたらチャンスかも

 今までの私の経験から、疎外感を感じるような周りの行為があったときに限って、溜まっていた仕事があって、会議に参加出来なかった時間に対処できて助かったり、誘われなかった飲み会では、後から聞くと何か事件(酔い潰れた人が救急車で運ばれたとか)が起きて、大変だったということがありました。
 そういうことが続くと、何か、得たいの知れない力が働いて、自分に災難が降りかからないようになっているのではないか?、そう思う時さえあります。

 疎外感を感じて寂しいと思った時こそ、無理に一緒に大勢の仲間と居ようとせず、一人でできる何かを考えるべき時間なのではないか…と思うのです。

 誰かと一緒に居ると安心感があるのですが、人間、いつも誰かと一緒に居てばかりはいられません。一人になって、じっくり物事を考えたり、一人でしかできないことも、たくさんあるはずです。

 疎外感を感じた時こそ、一人でやるべきことを考えることが必要な時間なのだと考えることで、疎外感という感情と私はお付き合いするようにしています。

薬になる言葉って

 薬になる言葉を綴っていこうと思って、先ず最初の出だしは、カッコいい言葉がいいなあと思案しても時間ばかり過ぎていく。

 いやいや、日常の中に、薬になる言葉というのはたくさん転がっているのに、気が付かない。

 さてどうしたものか。

 自分が考えたことなど、日々、Twitter( @fjprpl )で呟いているので、その中から、どれかを選ぼうかと思案に暮れる。

 だけれど、そもそも薬は病気になったときに飲むもの。まあ、予防薬というのもあるけれど、言葉は、日常的にコミュニケーション手段として使っているものなので、それが薬になるかどうかは、病に罹っていないとその言葉が薬になるかどうかはわからないのだ。

 そんなことを考えながらPCに向かっていたところ、自分が参加している京都くらしの編集室オンラインサロン(https://community.camp-fire.jp/projects/view/443096)で、明日、夜の談話室開設しまーすと告知された。

 あれ? 今月の予定は終わってたよね? 気まぐれ? まあ、そんなことはどうでも良い

 参加する人は誰だろうと思って、参加予定者を確認してみる。

 ここ2~3ヶ月は平日昼間に設定されていたこともあり、あまり参加していなかったので、少し新しい顔ぶれの方がいる。

 見てみると、文章添削を生業にしている方がいる。ん? 文章添削と言わず、言葉の調律と言っている。言葉を音、韻として表現しているところが良いな。このキャッチコピーで、「どんな人なんだろう、話をしてみたい」という思いが湧いてきた。もしかしたら、自分がやりたいと思っていることのヒントが得られるかもしれない。 

 必要な時に必要な人と出会える機会が訪れるというのは、ホントなのかもしれない。
その機会を無駄にするかしないかは自分次第。

 話をしてみないと、わからないけれど、その場に立ち止まって考えるよりもどんどんあたらしい人に会って、情報を取り入れるところをやってみようと思う。

 立ち止まって考えたり、過去を振り返って前に進むよりも、進むべき未来をしっかり見据えて、前に進んでいきたいと思ったのでした。